明治5年 | 初代森菊市当地にて農産物の卸業開始 取扱品はロウの原料である櫨(はぜ)の実や紙の原料であるこうぞ、みつまた、お茶などであった |
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明治~大正 | きぶし(木附子-お歯黒の色止め、博多織の色止め)、竹の皮、乾椎茸、わらびせんなども取り扱う。 |
昭和8年 | 長男・森繁松、2台目森菊市を襲名、乾椎茸(主に輸出)、生銀杏が主体となる |
昭和15年 | 戦時統制化となり輸出停止、乾椎茸の国内卸開始 消費者直売(現在の通販)を開始、関西方面に力を注ぐ |
昭和30年 | 長男・勝美、3代目襲名、商社を通じて香港貿易を再開する |
昭和40年 | 椎茸相場の大暴落により業界が大混乱を起こす 韓国産椎茸との競合により採算が合わず香港紡績を中止する |
昭和41年 | 個人商店より有限会社森菊商店に改名、社長に長女・恵美子就任 |
昭和47年 | 大分県物産協会入会 |
昭和49年 | 長崎県物産協会入会 |
昭和50年 | 3代目森勝美死去、4代目森俊明入社、専務なる |
昭和59年 | 大分県一村一品運動が大人気となり、長崎貿易公社脱会 |
昭和63年 | 大分県椎茸協会の入札指定商社となる、日本椎茸販売組合に入会 足切椎茸販売開始 |
平成4年 | 天日干し(仕上げ)椎茸販売開始、2台目妻マサヨ死去 |
平成5年 | 椎茸粉、製造販売開始 |
平成11年 | 社長に前専務の森俊明就任 |
平成15年 | 産地偽装問題で業界大混乱 |
平成24年 | 前社長森恵美子死去 |
平成30年 | 3代目森勝美の妻冨紀子死去 |
平成31年 | 現在に至る |